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電線今昔物語

日本の電線は激動の幕末からスタート

イタリアの物理学教師アレキサンドル・ボルタは、1800年ボルタ電堆(電池)を発明しています。ボルタは銅と亜鉛の板を、湿った布を挟んで積み重ねるとその両端から電気を発生し、これを電線で繋ぐと、その中に電気の流れが生ずることを発見しました。この電気の流れ道として電線が利用されるようになり、電線を使い電流に関するいろいろな実験が行われ、やがて電信に応用されることになりました。

そして、日本においては信州松代藩(長野県)生まれの武士で思想家、兵学者、発明家であった佐久間象山(1811〜1864)が、国産第1号の電線(絹巻線)を使った電信機を製作しました。この佐久間象山は、幕末ドラマに、先進的な発明思想家としてあごヒゲを長く伸ばした特徴的なスタイルの武士として良く登場しますので、ご存知な人もいらっしゃるかと思います。

佐久間象山は、江戸に出て最初は国学を学びましたが、アヘン戦争で清国が英国に敗れたことから、日本の富国強兵を強く必要に感じて思想を一転してグローバル志向になり、蘭学を学びました。蘭学書を原文で読んで近代科学知識を得て、電気・大砲・ガラス・気象・地震予知学・天然痘ワクチン種などの研究や開発を行いました。そして1849年(嘉永2年)に国産第一号の電信機を作っています。嘉永という年は、安政伊賀地震、安政東海地震、安政南海地震が続きました。これらは嘉永期の地震でしたが、その他に米国のペリー提督の黒船艦隊の来航などの大事件が多発したことにより同年中に「嘉永」は「安政」へ改元されました。そのため総称して「安政」と呼ばれています。まさに幕末の始まりです。

佐久間象山の電信機製作は米国人モ−ルスに遅れること10年ほどでありました。実は、ペリー提督はモ−ルスの電信機を徳川将軍家に献上しています。このことから日本でも電信機に対する関心が高まり、佐久間象山も国産化したようです。幕末の日本において、彼は電池から電線(絹巻線)、ガラス絶縁碍子に至るまですべて国内で自作しましたので素晴らしい発明研究家です。

作製した電信機に電線(絹巻線)を繋げ、自分が住んでいた藩邸内にこの電線を70m架設して電信の実験を行い、成功しています。この電線は絹巻線となっており、絶縁体として絹糸を巻いた導体が銅製の電線です。銅線は嘉永から17年あまり遡った1832年(天保3年)に大阪で銅線の製作に成功した人がいました。その後、京都でも銅線の製造を開始した人がおり、明治維新後は電線製造メーカーとしてそれぞれ成功していきます。しかし残念なことに佐久間象山は晩年、攘夷派の人達に日本開国論を説いて回りましたが反感をかい、浪人数人に襲われ、1864年一命を落としました。

電線の誕生に貢献したのに、残念なことですが、我が国の電線は激動の幕末に彼の偉業でスタートし、やがて明治維新後には国策としての電信電話網の発展に電線はなくてはならないものになるのです。その後、電線の絶縁はゴム、ビニールへと変化していき、明治〜大正〜昭和へとの歴史の流れと共に電線は、電信の他に、電話線、電灯線、電車架線へと応用範囲が広がっていき日本の街が明るくなっていきます。

ジオラマは、そんな電線と電気の光に満ちた懐かしい昭和の駅前風景です。

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